11/30の傍観車
近年、マツダのクルマと言えばデザインの良さという印象がすっかり定着していますよね。
その昔、私が7代目ファミリア3HBに乗っていた頃も、国産車の中ではかなりヨーロッパナイズされた優れたデザインを採用していましたが、その後、一時、停滞した時期もありました。
それが、東京モーターショーなどに「流れ」「魂動」などテーマを設けたデザインコンセプトカーをメインで出品するようになってから「復活」を遂げたような気がします。
それが、今に続いているんじゃないでしょうか。
近年、マツダのクルマと言えばデザインの良さという印象がすっかり定着していますよね。
その昔、私が7代目ファミリア3HBに乗っていた頃も、国産車の中ではかなりヨーロッパナイズされた優れたデザインを採用していましたが、その後、一時、停滞した時期もありました。
それが、東京モーターショーなどに「流れ」「魂動」などテーマを設けたデザインコンセプトカーをメインで出品するようになってから「復活」を遂げたような気がします。
それが、今に続いているんじゃないでしょうか。
白い4代目マツダ・ロードスターを見かけました。
赤の印象が強いこのクルマですが、この白もなかなか良いですよね。うねったフォルムが、白の明るさで若干飛び気味に見えるおかげで、上品さが際立つような気がします。
それにしても、2015年のモデルチェンジから7年経っても、デザインの新鮮さが全く薄れていないところはさすがだと思います。
多くのユーザーに満足の行くクルマをもたらすこと。
メーカーにとって、それは至上命題となり、更なる巧妙なコストダウン手法の開発が加速していきました。
現在では、そのクルマが本当に高品質なのか=本物なのかどうかを判断するのは大変難しい状況となっていますよね。
ちなみに、これを見極める手立ての一つが、ユーザーの手が届かないクルマの奥深くに、日常触れる機会が多いクルマの整備士などに、このことを訪ねてみることだと思います。
最近、クルマの評価を語る上で欠かせない「品質感・クオリティー感」という言葉。
ここに「感」という文字が入っていることがポイントで、得てして本当の品質ではないということなんですよね。
騙されていると言っては語弊がありますが、「ユーザーが満足すればそれでオッケー」というような風潮は確実に定着しており、天下のメルセデスと言えどもそれに抗うことが出来なかったというのが事の真相でしょう。
昨日の続き…
コストダウンという、今までに経験の無い?取り組みを行うことになった1990年代初頭のメルセデス。当初、見た目のあからさまなクオリティーダウンに、目の肥えたユーザーからは、批判の嵐となりましたが、徐々にそれも解消されていきましたね。
さすがメルセデス、コストダウンにおけるクオリティーコントロールのノウハウの吸収も早く、Cクラス、Eクラス共に3代目を迎える頃には、すっかり往年の「クオリティー感」を取り戻すに至っていました。
メルセデス本来の魅力が現在のモデルにどれくらい感じられるか…
モデル呼称を現在の「…クラス」と改めたときを境に、このメーカーは抜本的なコストダウン政策に舵を切ったように思います。
それまでは、「最善か無」の社是に象徴されるように、最良の部材を組み合わせてクルマを作り上げたら、結果的に高価になりましたというスタンスで、コスト管理とは無縁だったようなところがあったと思うのです。ところが、日本の初代レクサスLSがアメリカ市場で大成功し、「コスパ」を無視し続けることが難しくなってしまったという事情がありました。
企業としては、生き残らなくては勝負にすらならないわけで、なりふり構わぬコストダウン政策に突き進む結果となったわけです。
結果、当初のモデル(初代Cクラス、Eクラス)あたりでは、見るも無残な見た目の品質感だったのは間違いありませんでした。
メルセデスVクラスの商用車版は、Vitoとしてヨーロッパではお馴染みです。
日本でも主に並行輸入の形で導入されており、オシャレなお店のオーナーなどの間で人気となっていますよね。
ここには、メルセデス本来の魅力である、実用品としての質実剛健さが光ります。
日本では高級車という認識のメルセデスベンツ…。彼の地では、日本におけるトヨタと同じく総合自動車メーカーであり、実用車としての認識であるようです。
したがって、トラックやバス、商用バンなども豊富にラインナップされており、時々日本でも見かけることが出来ます。
乗用車系としては、昨日も書いたRクラスの振り替えモデルでもあるVクラスなどは、そんなこのメーカーの一面を色濃く感じられるクルマですよね。
白いメルセデスRクラスを見かけました。
日本では一代限りで消えてしまった、メルセデスとしては珍しいモデルですが、ミニバンとステーションワゴンの融合というコンセプト自体に新鮮味が薄れてしまったことは間違いありません。
また、FFで、よりコンパクトなミニバンコンセプトのモデルとしてBクラスが登場したこともモデル消滅の一因でしょう。
とはいえ、希少車ともいえるこのクルマ、意外と中古車市場では人気があるということです。
「出来の悪い子ほど可愛い」。これは、クルマにも言えることです。
連日書いているマセラティは、いうまでもありませんが、かつて私が乗っていたシトロエンも相当の強者ということが出来ます。
ハイドロニューマチックの要であるLHMオイル(人間でいえば血液)は、常に漏れという問題を抱えており、オーナーは(私もそうでした)常にLHMオイルの缶を携行していたものです。
30~40年前のイタリア車は、良く壊れるということでも有名でした。
中でもマセラティはトラブルが多いとよく言われており、「1年のうちの半分は修理工場に入っているよ」などというオーナーの話がまことしやかに流布されていたりしたものです。
実際、先日見かけたギブリが搭載するビトゥルボ(ツインターボ)2.8リッターV6エンジンなどはトラブルの巣窟だったらしく、これにまつわる話は、ちょっと検索しただけでもかなりの数が出てきます。
でも、実際に所有したオーナーは、そんな数々のトラブルを大きく上回る愛着の念を抱くことになるのは、他のエンスー好みのクルマと同様なんですよね。
赤い2代目マセラティ・ギブリを見かけました。
1990年代に生産販売されていたこのクルマ、バブル末期の日本でも、芸能人や有名人などの間で持て囃されていたと記憶しています。
ちなみに今回見かけた個体は、なかなかの保存状態で、ある有名自動車評論家が「酒池肉林」と称したベージュのコノリーレザーとウッドトリムの内装もキレな状態でしたね。
ロールスロイスとベントレー。一時は、完全な姉妹車だったものの、今ではBMW系とVW系という全く別の成り立ちのクルマになってしまいましたよね。
先日、傍観車で取り上げたシルバースピリットの時代(1980年代)は、これのベントレー版姉妹車であるミュルザンヌも、けっこう国内では見かけたものです。
ちなみに大きな違いはフロントマスクで、例のパルテノン神殿モチーフのグリルに角形ヘッドランプがロールス、かどに丸みのある四角いグリルに丸目4灯ヘッドランプがベントレーという具合に見分けがつきました。
1998年、BMWに買収されたロールスロイス。でも、それはすんなり済んだ話ではありません。
この時、買収に同時に名乗りを上げた同じゲルマン企業のフォルクスワーゲン社との間で、だいぶすったもんだがあったようです。
詳しい経緯は、個々に調べて頂くとして、現在、ロールスロイスはBMW、ベントレーはフォルクスワーゲン傘下となり、全く別々のクルマを製造しているということです。
かつては、高級車の代名詞的存在だったロールスロイス。昨日も書いたように、価値観の多様化で、最近では影が薄くなりかけている印象もありますよね。
その原因の一つが、2000年前後の世界的不況のあおりを受けた英国の自動車メーカーの相次ぐ身売り話でしょう。今や純民族資本の英国車は絶滅状態です。
こんなところにも、グローバリズムの荒波の一端が見て取れます。
緑色のロールス・ロイス シルバースピリットを見かけました。
ちなみに、私たちが子供の頃(昭和40年代)、高級車と言えば、皆が「ロールスロイス」とステレオタイプの如く声を揃えたものです。
今でこそ、メルセデスやフェラーリ、果てはブガッティなど、人がイメージする高級車のメーカーも多様化していますが、昔はなんでも単純明快でしたよね。(^_^;)
ヤリスシリーズ…GRヤリスも良いんですが、国内で大ヒット中なのはヤリスクロスの方ですね。
折からのSUVブームにタイミングよくミートし、比較的こなれた価格とサイズで、瞬く間にバックオーダーを抱える存在となったのは記憶に新しいところです。
個人的には、ヤリスをベースとしながらも、ボリューム感とタフネスイメージでは全く別のクルマという感じに仕上がっているところが凄いと思いますね。
4代目ヤリスの目玉的な存在なのがGRヤリスです。
トヨタが本格的スポーツカーを生産する拠点として立ち上げた「GRファクトリー」でつくられるこのクルマ、一般的な量産車のようにベルトコンベアーを用いることはなく、一台一台を手作りで仕上げるセル方式で生産されているということです。
これらにより、欧州メーカーの本格的なホットハッチと肩を並べる走行性能・操縦安定性を確保しているだけでなく、プレミアムな品質感という点でも今までの国産車のレベルを凌駕するものとなっているようです。
若い頃、欧州のホットハッチに夢中だった私としても、興味をそそられますよね。
淡いピンクと黒のツートーンカラーの4代目トヨタ・ヤリスを見かけました。
このボディー色、「アイスピンクメタリック」というらしいのですが、一見オフホワイトという感じの、本当に淡いピンク色なんですよね。
この珍しい色が、黒豆がモチーフになっているというスタイリングに良く合っていて、スポーティー&ファニーな雰囲気を醸し出していました。
ピニンファリーナデザインによる、かつてのプジョー車で、個人的に好きなのが505です。
1979年に登場ということですから、43年前、日本ではバブル前夜という時期でしょうか。
一見、トヨタ・クラウンかなという地味な印象なんですが、しばらく眺めていると、釣り目のヘッドランプや、穏やかでバランスのとれたボディーフォルムが心に沁みてくるのを抑えられなくなります。
「味わい深い」という言葉は、まさにこのクルマのためにあるんじゃないかと私は思うんですが…(^^♪
かつてピニンファリーナが関与していたプジョー車のデザイン。
最近のモデルは、その志を継いだハウスデザイナーによるものだと聞きますが、抑制のきいた流麗なデザインは健在だと思います。
特に3008、5008などのSUV系は、他メーカーのようなアウトドアイメージ先行ではない、落ち着いた都会派のスタイリングが光りますよね。
フランス車の中におけるプジョーの魅力。
言わずと知れたアヴァンギャルドのシトロエン、都会派のルノーに対して、昔からプジョーは質実剛健を売りにする庶民派のメーカーとして認知されてきました。
といっても、野暮ったいだけの印象ということはなく、ピニンファリーナによるデザインを採用するなど、よく見ると、控え目ながら品のあるスタイリングであることに気付かされます。
それが、多くの日本人の感性に訴えかけたのではないでしょうか。
白と黒のツートーンカラーのプジョー5008を見かけました。
うちの近所では、最近、プジョーのSUVを頻繁に見かけることが出来ます。然程充実していないディーラー網の事を考えると、かなりの人気であることが推測されます。
やはり、国産車にはないフランス車独特の魅力が理解されているからなんではないでしょうか。
マツダのディーゼルエンジン(SKYACTIV-D)。その人気は衰え知らずで、今や新車(乗用車)のディーゼル比率では国産メーカー中ナンバーワンなのではないでしょうか。
苦労の末にモノにしたロータリーエンジンといい、このディーゼルエンジンといい、他社とは一味違うアイテムの開発においてマツダの右に出る者がいないことは間違いありません。
昨日も書いたディーゼル規制により、一時は、日本から完全に駆逐された感もあったディーゼル乗用車。
それも、2010年を過ぎると、雪解けの気配が高まりました。その要因が「クリーンディーゼル」と呼ばれるコモンレール式をはじめとする新しいタイプのディーゼルエンジンの台頭です。そもそも欧州では、以前からこちらが主流で、黒煙をまき散らしながら走る旧態然としたディーゼルエンジンは日本の怠慢の象徴だったと言えるかもしれません。
特に、この頃を境にマツダが大々的に推進し始めたSKYACTIV-Dと呼ばれるディーゼルエンジンは、欧州メーカーの最新ディーゼルにも引けを取らない出来で、多くの車種に採用されたことも手伝い、大ヒットとなりました。
これにより、完全にディーゼル復活と言える状況になったことを考えると、マツダの功績は多大なるものだと思いますよね。
ディーゼルエンジン搭載車が街中に溢れかえると、人々は、それらのマフラーから吐き出される黒鉛に敏感に反応するようになりました。
当時の石原慎太郎都知事よるペットボトル パフォーマンスも話題となり、2000年前後から大々的なディーゼル規制が始まりました。
これにより、世の中の流れは一気に「ディーゼル=悪」となり、しばらくの間、日本においてディーゼル車はタブーとなってしまったのです。
ディーゼルのパジェロがヒットしたおかげで、三菱と言えばディーゼルという定説が生まれましたよね。
それまで商用ワンボックスのイメージが強かったデリカも、パジェロ譲りの4WDを装備した乗用のスターワゴンは、「ワンボックス版パジェロ」として大ヒットとなりましたが、主力はやはりディーゼルでした。
これらにより、街中には、マフラーから黒煙を吐き出すディーゼルエンジン搭載車が蔓延することとなったわけです。
パジェロのブームで、もう一つクローズアップされたのが、ディーゼルエンジンです。
パジェロにはガソリンエンジン搭載車もありましたが、多くのユーザーが購入したのはディーゼルの方で、やはり、大柄なボディーを経済的に走らせることが出来るというのが、その理由だと思います。
また、起伏の激しい過酷な路面状況でも、低回転域から大きなトルクを発生するディーゼルが適していたというのもあるでしょう。
いずれにせよ、これでディーゼルを身近に感じることが出来た日本のユーザーも多かったに違いありません。
パジェロの思い出…、個人的にも昨日書いた2代目モデルは実際に購入を考えたクルマでした。
折からの円高で輸入車も身近になりつつあったあの頃、堂々と立派ながたいと、見るからにタフそうなRVの諸装備が、外車と対等に渡り合える数少ない国産車として多くのユーザーの目に魅力的に映っていたと思います。
シルバーとブルーのツートーンカラーの2代目三菱・パジェロ(ロング)を見かけました。
1990年代、RV(今のSUV)ブームの中心として絶対的存在へと上り詰めたモデルですよね。その人気たるや、今では想像すらできないほどのもので、三菱はパジェロのみを製造する子会社、「パジェロ製造」を岐阜県に設けていたくらいです。
当時、渋谷や原宿、六本木などを「これ見よがし」で走り回るパジェロを、日常茶飯事で見かけたものです。
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